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緒川あいみ 著者近影



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かざせ、たいまつ

緒川あいみ、旅の記録

第六天神社、宵闇に発光して浮遊する
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    第六天神社

    日曜日の夜、自転車で国道1号線を通り抜けてく。
    ここは江戸と京の都を繋ぐ東海道だったんだと、土地の歴史が涼しい夜風と結託して聞こえない言葉で語り出す。
    車道をはさんで、第六天神社は夏祭りだった。
    どこの神社も、あの世とこの世を盆のエネルギーで融合させる。

    第六天神社は、もともとは第六天魔王を祀っていて、神仏分離のときにオモダルとアヤカシコネを第六天の垂迹とした。
    西日本にはほとんどなく、関東でも第六天神社という名前のままのところはレアみたい。



    □ 第六天神社が出てくる記事

    第六天神社のニャーオ、セルフ大祓ぐるり
    ちいさな守護者たち
    あんぱんまん六地蔵
    狛犬さんとは古い仲(第六天神社のしっぽさん)



    JUGEMテーマ:神社仏閣





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    | 宗教は必然である、人間が人間であるには | 06:03 | - | - |



    11年ぶりのフォークソング、盆の林亭
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      林亭

      13日は、大岡山のGoodstock Tokyoというライヴハウスへ行きました。
      駅前が開けていて、青空を強く認識する。
      茅ヶ崎や藤沢といった相模湾沿岸の町々のほうが、ごちゃごちゃした駅周辺で騒々しい。
      とても静かな坂の路地をのぼっていく。心地いいです。
      階段を降りると、昨年にオープンしたばかりのライヴハウス。落ち着いた店内で、あまりライヴハウスっぽくない。
      午後4時、ひさしぶりに林亭の歌と出会った。

      林亭は、佐久間順平さんと大江田信さんのフォークデュオで70年代から活躍した。
      2006年の下北沢のラ・カーニャでの再結成ライヴに私はいた。その頃はフォークシンガーの人たちのライヴによく通っていた。
      抗鬱薬を缶珈琲で流し込み、夜の吉祥寺や下北沢の路地裏をふらふらと、カラダを不安と緊張で震わせながら、うろついていた。
      歌を探していたんだ。人よりも歌だ。しかし、人が紡ぎ出す歌でなければならない。
      でも、林亭の再結成ライヴ、それから親身になってくださっていた京都の伝説のフォークシンガー藤村直樹さんの中休みライヴを経て、私はフォークのライヴに行かなくなる。
      高田渡が醸し出す存在感、表現されるきめ細やかな寂しさや優しさ、そして何よりあの捉えづらさに魅かれて、彼の生活する三鷹吉祥寺の地に暮らし始めたのが2004年。
      だけど、その翌年、約半年後に渡さんは天使になった。
      高田渡の歌を知り、その仲間たちの歌に触れていった数年間。
      どうしてそこまでフォークソングという音楽の世界に嵌ったのか。あんなにいつも鬱状態で顔を俯かせてた。
      拳を突き上げるロックンロールとは違うアプローチに感動していたのか。
      豊かな日本語の歌詞と弦楽器の旋律に胸躍らせていたのか。
      遥か上の世代の熟練の吟遊詩人たちに理想の父親像を重ねていたのか。
      それとも早々に天界へと旅立ってしまった高田渡の幻影を探していたのか。
      いや、私は自分を探していただけだ。歌の中に。
      11年経って、初めて行った東京の町の新しいライヴハウスで、林亭が「神田橋」や「私がいちばんきれいだったとき」、それから再結成後の新曲である「キミの悲しみ」「旅の仲間」といった名曲を歌い演奏していた。小林政広さんの「夜行列車のブルース」や高田渡さんの「風」は、大幅なアレンジで林亭の歌にメタモルフォーゼしていた。

      あの頃はいつもネルシャツにジーパンで、せっかくのホルモン注射による胸の膨らみを隠すように猫背で歩いていた。いつも下を向いていた。
      ミュージシャンの人に性別のことでからかわれたこともあった。
      11年が過ぎて、いまだって結局、私は少年のような幼いお姉さんに仕上がっている。
      でもいまはあの頃とは違う。猫背でもない。下も向いていない。胸があるし、スカート履いてる。
      だから、林亭のお二人にご挨拶するとき緊張した。同じ自分だけど、少し違う自分だったから。

      遠ざかっていたフォークミュージックと邂逅することは、過去と現在を繋ぐことだ。それは最近まるで人生それ自体に悩んでいる私自身への荒療治でもあった。
      歌はずっと流れていたのだ。
      高田渡帰天から12年。
      林亭再結成から11年。
      誰もが一瞬一瞬、時をかさねながら歌を歌い続けていた。
      林亭はあまりライヴはやらないから、貴重な一日だったと思う。
      Goodstock Tokyoで、1960年代のアルテックのスピーカーから響く、澄んだ美しいギターやバンジョーの音色が、一瞬ごとに私の罪と穢れを浄化してくれた。
      歌の合間のトークに笑いながら、ああここにいる誰もが、この11年間を同じように細胞を明滅させながら呼吸繰り返し、確かに生きていたんだなと思って、不思議な気分になりました。

       キミの悲しみは 夜空に舞い上がり
       溶けて行く 散って行く
       星の光 映して

       ボクの喜びを ひとつひとつ集めて
       眠るキミの 夢の中へ
       そっと 贈ろう

       「キミの悲しみ」詞・曲:佐久間順平

      このあいだ、政治状況や社会の雰囲気も、めまぐるしく変わっていった。
      よくなった側面も確かにあるけれど、全体的には暗澹たる情景だ。
      歌や音楽というものが示す自由とは、およそ正反対の空気が国全体を覆っている。

      70年代の林亭は土と風の匂いがするけれど、ひさしぶりに出会った林亭の音楽は、星が降りしきる夜空のようだ。




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      | 芸術と水、動くということ、触れるということ、本質 | 19:36 | - | - |



      ピッケちゃんがやってきた
      1
      ねこ

      里親募集施設から、ライトくん(通称・とらくん)がやってきて11ヶ月目になります。
      そんな折、窓の外にあらわれたのは、ひとりの子猫。
      ライトくんよりずっと小さくて、でも模様が鯖虎で似ています。

      なんとなくピッケちゃんと名前をつけた。
      野良猫に関する考え方はいろいろあるだろうけど、目の前にいる困っている人を助けないのは義にあらず。
      かくして、ライトくんにもピッケちゃんにも、ごはんをあげる日々が始まった。
      でもライトくんは、猫が苦手で、里親募集施設でもほかの猫と仲良くできなかった。
      その理由が左足がないことからくるコンプレックスなのか、それはわからない。
      だから、ピッケちゃんがごはんをもらいに来ると、ライトくんは「うにゃ〜〜〜」と長いブレスで鳴く。
      ピッケちゃんを見つめて、とても切ない声で何かを言うのです。
      それが猫として通常の、というか普通の、自分の縄張りをアピールする振る舞いだろうことはわかっています。
      ただ、ずっと寂しく生きてきてやっと安心の家を手にしたライトくんの心情を想像すると、複雑な気持ちになります。
      そして家の中にいるライトくんと窓の外にいるピッケちゃんに対して、私にできる愛情が同じなのか違うものなのか、などと考えてしまいます。
      これから先どうなるのかわからないけれど、あしたもピッケちゃんにごはんをあげたい。

      考えてみれば、ライトくんは、11ヶ月ぶりに猫を見たのです。
      彼らは網戸越しに、人間にはわからない言葉で、どんな会話をしているのでしょう?

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      | もりのみんな | 18:25 | - | - |



      さいきん水のなかの世界ちょうしどうだい
      0
        ねこ

        ライトくんあひるさんあひるさん。

        ぷっかり、ぷっかり。



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        | もりのみんな | 12:21 | - | - |



        「死刑囚 永山則夫の花嫁 『奇跡』を生んだ461通の往復書簡」(柏艪舎)
        0

          永山則夫 


          「人にはそれぞれの歴史があります。その個人史が、どんなに苦しい、険しい、愛せない、いろんなイミで厭なものであっても、生きていく上では大切なものです。」nagayama 


          「永山則夫の花嫁」というご本を買いました。

          永山則夫さんと獄中結婚したミミさんとのたくさんの手紙のやり取り。 

          辛く厳しい子供時代を送った永山さんは初めて愛を知ります。 

          私的なお手紙なのですが、おふたりの感性というか言葉の力が豊かです。 


          飛行機で隣の席に座っていた人が読んでいた「無知の涙」。 

          そしてアメリカから送った一通のエアメール。 

          監獄からのお返事は、何とも陽気で、力強い言葉が踊る優しい文面だった。 

          幼いときから辛い差別を受けてきて、「無知の涙」を知ったときも人生に疲弊していたミミさんにとって、永山則夫との心を通じた出会いは、紛れもなく希望を宿した運命だった。 

          獄中で超インテリとなった永山は唯物論者で、手紙の文章は的確だし、そして相手に言いたいことはちゃんと言葉にする。 

          そうした完璧主義的な譲れなさは、永山の他者に対する厳しさでもあっただろうけれど、ミミさんにとっては希望だった。 

          死刑囚が、ひとりの人間の命を救ったのだ。


          けれど、結局二人は離婚することになる。 

          塀の中で学問を手に入れレベルアップした永山にとって、思想だけが拠り所だったのかもしれない。 

          だからその思想を完全に理解し同意できなければ、相手を信頼できなかったのかもしれない。

          この本には載っていないけれど、永山はのちにあらわれたパートナーであるAさんに、ミミさんのことを悪く言ったりもする。 

          そしてAさんとも別れ、弁護士や支援者たちとも縁を切っていってしまい、最後は孤立する。 

          それらがすべて永山則夫という個人の性格のせいとは言えない。 

          もし、外の空気を吸って、おひさまの下で仲間たちと語らうことができたら、全然違ったはず。 

          人間を信じたくて、人間を救いたくて、でも自分の思想についてこれない限り、人間を信じきれなかったのかもしれないと思うと、悲しい。 

          でも、彼に恋をした人たちや仲間たちは、もっと彼の全体像、すなわち人間そのものを見ていたと思う。 

          それは生活している上での余裕の違いでしかないから、とても切なくなる。 

          しかし、ミミさんと手紙をやり取りし、結婚していたあいだは、確かに永山則夫さんにとって愛を感じることができていたのだと思う。 

          そうだ、刑務所の中にいなくたって、誰だって、愛を継続できないことなんか、いくらでもある。 

          永山則夫は頑固でプライドが高く我儘な人だったかもしれないけれど、彼は彼の人生を生き抜いたのだ。 


          北区に「いのちのギャラリー」という、永山則夫の遺品などを展示した場所があって、私はそこに行きたいです。

          (いのちのギャラリーに行かれる方は要電話連絡ということです) 


          私にとってはやっぱり、高田渡さんが永山則夫さんの詩を歌にしていることが大きくあります。

          許可を取りに行った面会のときは、永山さんには「音楽なんかじゃ文学は表現できないよ」と言われたそうですが…。 


          死のうとしていたミミさんが出会った永山則夫。

          ともに生きようと誓ったふたり。

          囚人に、死刑囚に、生きてと願うこと。

          その愛と苦しみ。


          1997年8月1日、朝。

          東京拘置所にて、永山則夫の死刑は執行された。


          私は死刑には反対です。




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          | 本を読む、レコードを聴く、想念の旅をする | 06:59 | - | - |



          雨の海岸、。
          0


            雨が降ります。
            傘をさして、自転車にのって、
            海岸にきました。
            なおちゃんとハートン。
            デニーズ茅ヶ崎海岸店で、
            パンケーキとカプチーノ。

            戦前の亜細亜主義者・玄洋社の頭山満と、松任谷由実さんが遠い親戚だったという本を読んでいる。

            それから、数ヶ月ぶりに日記帳をひらきました。



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            | 生きることは食べること、対角線上の珈琲とカレー | 18:49 | - | - |



            鈴木邦男「愛国と憂国と売国」(集英社新書)
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              2011年に出された「愛国と憂国と売国」は、鈴木邦男さんがマガジン9に連載しているコラムを編集し直したものだ。
              鈴木邦男先生は、場によって話し方や書き方が微妙に変化する方だと私は思っている。
              その中でマガジン9で書かれている文章は、やわらかさと鋭さのバランスが、若い人には読みやすい気がします。
              3.11以降、山河を愛しているはずの右翼の多くが原発に反対しないことへの警鐘。
              最近のご本やスピーチでは何度も説かれる、現在の保守陣営と三島由紀夫との本質的な大いなるずれ。
              あるいは、かつて野坂参三とすれ違ったときテロルを起こさなかったことへの後悔を語る箇所では、全方位的言論人に秘められた狼の残影にびびる。

              鈴木邦男さんの不思議な文体は、あらゆる人と出会い語っていくその活動スタイルと同じく、行為が個人と対等に踊っている。
              日本語は主語がなくても通じるから、自分なる存在がほかの自分と関わっていきながら変容していくその光景を紡ぐにはとても合っている言語だ。
              (人はみな自分である)
              普通、個人という前提があってその中に行為が存在するけれど、鈴木邦男文体においては、行為が個人とタイマン張っている。
              保守論壇やネトウヨたちが、様々な日常また歴史をすっ飛ばして、個人と国家をアイデンティファイさせているとき、鈴木邦男はあらゆる場所で、行為する個人に感動している。
              行為とは、自分だけの考えを持ち、それでもって他者や社会と関わっていくことではないだろうか。
              鈴木さんの文章は、思っていることと実際のこと、自分のことと誰かのこと、それらが滑らかに緩やかに、まるで水の如く一体化していく。
              そのような有り様を《アート》と呼ぶと私は思うので、鈴木邦男さんのことを私は《アーティスト》だと思っているのです。

              稀代のコミュニケーター。
              天壌無窮のラブ&ピース。
              スーツを着たニホンオオカミ。

              歩き続ける思想家には、意外とジャズが似合う。たとえばチャールズ・ミンガス。
              「国」なんて私は興味なかったし、「日本」なんて口にもしたくなかった私だけど、アナーキーに見えながらアナーキーともまた違う、鈴木邦男さんの本を読むようになって、何か世界がぐんと広がった気がしています。



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              | 本を読む、レコードを聴く、想念の旅をする | 12:26 | - | - |



              無条件の情緒
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                常識はほんとうに常識なのかと考えるとき、ただ中空に浮遊してあらわれる捉えようのない近未来の本質ともいうべき何か、その何かに自然と手を伸ばさずにはいられない。
                たとえ血みどろで骨が折れていようともだ。
                美は無条件の情緒とともにある。



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                | 日々のあわ、すなわち世界は重層的な麦の粒、ただ「見る」ための宇宙 | 20:12 | - | - |



                《詩の朗読》りすたあと
                0

                  うちの窓から伝染病
                  何もわからなかった海
                  巻き戻されながら私は
                  1ミリ四方の死に色をつける
                  それなのに直線上のお前ときたら
                  繊細で健全な生活をしていて
                  ゲル状の夜を踊る私に
                  冷笑せず会釈する
                  舗装され尽くした関東平野に
                  ブラックホールの落とし穴あいたら
                  それは誰の罪でもない





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                  | YouTube : morinokaigich | 18:04 | - | - |



                  西向天神社の「新宿の女」
                  0


                    西向天神社には初めて行った。

                    花園神社を立ち去ると、明治通りを横断歩道で渡り、新宿6丁目の路地に入る。

                    いくらか前に、高田渡さんの写真展を見に、新宿文化センターというところに行ったことはあるけど、この辺りに足を踏み入れるのはそれ以来。

                    路地裏の丘の上に西向天神社はあった。

                    階段がある。のぼっていく。何だかもう夏みたいな日だった。

                    しかしほんとうにいま言いたいのは、神社は基本的に面白スポットだってこと。

                    たとえば西向天神社だって、その敷地の横に長く伸びている感じが面白いし、公園があったり、宮司さんか誰かが育てている盆栽が並んでいたりする。

                    本来、神社という場所は、決して戦争や排外主義を賛美するところじゃない。

                    私は奇妙な聖域をロールプレイしながら、ついに藤圭子さんの「新宿の女」の歌碑を見つけた。

                    この歌は、藤圭子さんのデビュー曲だ。

                    石碑のかたちが、カッコイイ。

                    手を合わせてから、細くて急な階段をおりる。

                    女子中学生のグループが、うんこうんこと連発して歩いてた。ひとりだけ恥ずかしそうにしてた。

                    都会のど真ん中にある小学校や中学校に通うのって、どんな感じだろう?

                    ぼくはといえば杖を忘れてしまって、だんだん足が痛くなっちゃって、人の1/5くらいのスピードで再び新宿駅へよたよた歩く。

                    いつもの通りビックロは盛況で、「ここに風月堂があったのかな」なんて考えながら、足を引きづってた。


                     ばかだな ばかだな

                     だまされちゃって

                     夜が冷たい 新宿の女




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                    | 宗教は必然である、人間が人間であるには | 17:33 | - | - |







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